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すなわち、地方税法の意法上の意義について考える際に出発点とすべきは、意法が地方団体に対して課税権を与えている趣旨であろう。承知のように、地方団体の課税権については、地方団体の財源確保の必要性という観点から説明されることが多い。たとえば、金子教授は、次のように述べておられる。
「日本国意法は、第8章に『地方自治』と題する1章を設け、『地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基づいて、法律でこれを定める』(92条)と規定し、さらに、『地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる』(94条)と規定している。これは、意法が、明治憲法下の中央集権的・官治的な地方制度の否定のうえに立って、地方自治を保障し、地方団体に、その事務を、住民の民主的コントロールのもとに、自らの責任で自主的に処理する力を認めたことを意味する。ところで、地方団体が、地方自治の本旨に従ってその事務を処理するためには、課税権、すなわち必要な財源を自ら調達する権能が不可欠である。それなしには、地方団体は、結局において国に依存することになり、それと引換えに国の監督を受けることになりやすい。その意味で、地方団体の課税権は、地方自治の不可欠の要素であり、地方団体の自治権の一環として意法によって直接に地方団体に与えられている、と解すべきである(したがって、地方団体は、憲法上は、いかなる租税をいかなる課税要件のもとに賦課・徴収するかを自主的に決定することができる…)。このように、地方団体は、意法上の自治権の一環として課税権をもち、それによって自主的にその財源を調達することができる、という原則を自主財政主義という。」(金子宏 租税法〔第5版〕91頁)
このような地方団体の課税権の根拠付けを前提とした上で、金子教授は、地方税法の存在意義について次のように述べておられる。
「もっとも、自主財政主義は、地方団体ごとに税制が区々になり、住民の税負担が甚だしく不均衡になるのを防ぐために、地方団体の課税権に対して国の法律で統一的な準則や枠を設けることを、全面的に否定するものではない。そのような準則を設定した法律−準則法(Rahmengesetz)−として、地方税法がある。しかし、自主財政主義の趣旨にかんがみると、地方団体の自主性が十分に尊重されるべきであって、国の法律で地方税のすべてを一義的に規定しつくすことは適当でなく、また国の行政機関の指揮・監督権はなるべく排除する必要がある。」(金子・前掲書92頁)
結局、国が意法で地方団体に対して独自の財源確保の道を開いている以上、地方団体の課税権の衝突の調整を国が行うことは当然のこととしてゆるされるということになるのかもしれない。
4 大牟田市電気税訴訟
上の?の考え方を、?の考え方に近く解した典型が、大牟田市電気税訴訟(福岡地裁昭和55年6月5日判決・訟務月報26巻9号1572頁、判例時報966号3頁)である。これは、地方団体の課税権の意法上の位置づけについて、国と地方団体が正面から争った事案で、大牟田市の課している電気ガス税について地方税法に非課税措置が定められている結果として税収が減少した点に関して、大牟田市が、当該非課税措置は「特定の税源からの課税を禁じ、租税の内容等についての地方公共団体固有の課税権ひいては自主財政権を侵害し、憲法92条の保障する地方自治の本旨に反する違憲の立法であり無効のものである」として、国家賠償を求めて訴えたというものである。裁判所は、次のように述べて、国を勝訴させた。
「地方公共団体がその住民に対し、国から一応独立の統治権を有するものである以上、事務の遂行を実効あらしめるためには、その財政運営についてのいわゆる自主財政権ひいては財源確保の手段としての課税権もこれを憲法は認めているものというべ
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